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April 23, 2004

社会の最小構成単位とは

 1人の人間が2つの苗字を持つことと、1つの家族に2つの苗字があること、どちらがより問題があるでしょうか。

 1人の人間が2つの苗字を持つこと、これが芸名やペンネームならさほど問題にはなりません。しかし、2つの本名を持つことは不可能です。公的に証明できる氏名は1つのみだからです。それなのに、婚姻前の苗字を継続して用いる法的な選択肢がないために、1人の人間が2つの苗字を使い分けることが日常化しています。

 では、1つの家族に2つの苗字があること、これは問題でしょうか。家族の構成員が2人以上でそれぞれが異なる苗字を1つずつ持つと、1つの家族に複数の苗字が存在することになります。これは問題でしょうか。家族の構成員は必ず同じ苗字を持たなくてはならないのでしょうか。

 夫婦別姓に反対する意見として「社会の最小構成単位は家族だ(だから同じでなくてはならない)」というのを聞いたことがあります。

 しかし、社会の最小構成単位とは何を意味するのでしょうか。家族つまり夫婦とその子供、その集団が生活を共にすることはあっても、それを社会の1単位にするのはどんな場合でしょうか。個人は家族という集団の一部で、存在として不完全なのでしょうか。それはどういう意味で?

 おそらく「社会の最小構成単位は家族」を標榜する意図には、家族としての調和を重視しているとか、家族または特定の集団への帰属をもって個人の存在意義を認めるということなのでしょう。

 では、もしそれを社会制度に適用するとどうでしょう。例えば選挙権。社会の最小構成単位が家族なら、選挙権は家族に1つにしなくてはならないのでしょうか。夫と妻で別の政治家に投票することができなくなります。すなわち、個人単位で思想信条が分かれてはいけないことになります。

 家庭の調和、特定の集団への帰属意識や忠誠心、そうしたことを尊重するのは大事です。しかし、それは識別名の一部を統一することで完結する話でしょうか。そうした人間の持つ意識や社会秩序は公的書類にある苗字だけでは制御しきれるものではありません。本質はもっと深いところにあるのではないでしょうか。

 なのに「社会の最小構成単位は家族だ」が夫婦別姓の法制化を阻止する理由としてばかり重視されるのは残念でなりません。家族の対外的な一体感を優先するあまり、その構成員が別々の苗字をもつことを禁じる必要があるのでしょうか。私にはそうとは思えません。

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